6.森羅万消しゴム




 消しゴムで鉛筆の書き跡を擦ると消える、その仕組みをご存知だろうか。いや特に難しい理屈でもないのだが、「なんで消しゴムで消えるのか」なんて考えたこともない人は案外多いらしい。この文章に目を通してしまったが不運と諦めて、ちょっと勉強していっていただきたい。

 ところで『消しゴムで消せる理屈』は、実は『鉛筆で書ける理屈』と対になっているので、まずはこれを理解するところから始めよう。はい、いきなり勉強科目が倍に増えました。文句は言わない。世の中にはもっと辛いことも一杯あるんです。
 では、お手元に紙と鉛筆と消しゴムを用意していただこう。なんでもない理屈だが、実際に書いて消してしながら聞くと、なかなか趣深いのである。

 まず、鉛筆の芯の部分は、ご存知の方もおられようが“黒鉛”である。正確には、黒鉛を粘土に混ぜ込んで焼き固めたものだ。この黒鉛という物質は分子間の結びつきが相当にユルいので、ザラザラした面などに擦りつけるとポロポロと細かく崩れてしまう。この黒鉛の崩れたモノが紙(ザラザラした面)の繊維の隙間に残ったモノが、鉛筆の書き跡になる、と。さぁレッツ書く。いちおう消える理屈が優先なので、あまり筆圧をかけないように。できるだけ卑猥な言葉や図柄を書くと、消す行為に真剣味が出るのでお奨め…うわぁ、だからってそんなイヤラシイの書くわけ? 最近の若い子は可愛い顔して結構ヤルもんだねぇ。おじさんビックリだ。うひひひひ。

 …よろしい。では次は消す方だ。消しゴムで、今の“黒鉛の分子結合が崩れたものが紙繊維の隙間に残ったところ”を擦っていただこう。ゴーシゴーシ。…ちゃんと擦ってますかぁ? ちゃんと擦らないと、その卑猥な言葉と図柄がアナタの筆跡で残ることになるのだ。はいはい、真剣にレッツ消す。……消えた?

 ではでは、証拠隠滅も済んだところで理屈を説明しよう。まず、先に説明したとおり、鉛筆の書き跡というのは、黒鉛の崩れたものが紙繊維に残ったものだ。で、消しゴムというのは紙繊維よりも粘りがあるため、これで擦ることによって黒鉛は消しゴム面に吸着してしまうのである。黒鉛が紙から消えてしまえば、紙は真っ白元通り、という仕組みである。

 ところが。吸着したは良いが、このままでいずれ消しゴムの擦面が吸着しきれなかった黒鉛で飽和し真っ黒になり、逆に紙のあちこちを汚してしまうことになる。ここで大事な役を果たすのが消しゴムをかけた後に必ず残る“消しカス”なのだ。消しゴムは摩擦により吸着した黒鉛を包み込むようにポロポロと崩れてカスとなり、肝心の消しゴム自体は、一枚皮の剥けた黒鉛吸着し放題状態に戻るというワケだ。消しカスは黒鉛を内側に包み込んでしまっているので、見た目は真っ黒でも、触った手や紙が汚れることはない。字を消すたびに出てくるウザッたい消しカスだが、実はこんな重要なお役目があったのである。うーむ。良くできている。

 この“消す(黒鉛粒子吸着)”機能は、ハサミのように形状から来るものではないので、消しゴムというのはどんなカタチをしていても問題ない。更に言えば、紙よりも粘りがあって黒鉛を吸着する物体であればなんでもいいので、要するにそういう素材ならなんでも消しゴムになり得るのである。消しゴムという名に反して、現在生産されているものの大半がゴムではなく、プラスチック樹脂
(塩化ビニル樹脂にジオクチルフタレートなどの可塑剤を混ぜたもの)であることからもそれは明らかだ。

 ここで、数少ない私の消しゴムコレクションを列べてみよう。…スパナ・サッカーボール・カップ麺・宇宙人・腕時計・ドッグフード・国語辞典・カッターナイフ・ドールハウス・コマ・けん玉・だるま落とし・ティッシュ・紙マッチ・老婆(入れ歯つき)・たまごっち・だんご三兄弟・洗濯洗剤(粉末消しゴム)…いや、嘘じゃないって。本当にあるんだって。嘘だと思うなら、googleで「消しゴム コレクション」と検索してみると良い。これで足りなきゃ「eraser collection」で検索だ。もうイヤというぐらいに濃い消しゴム世界が堪能できるだろう。

 要するに、形状に関して言えば、およそ地球上に存在する事物で、消しゴムになってないものなど存在しないんじゃないか…ということだ。そりゃそうだ。原型さえあればどんな形にだってできるんだから、手で触れて目で見えるモノなら、高層建築だろうが深海魚だろうが、なんでもアリアリだ。
 動力が単三電池4本だとか2000年問題でキンキンとの思い出が消えたとか言われている、エッセイストの楠田枝里子さんが、日本でも有数の消しゴムコレクターであることは有名な話である(『消しゴム図鑑』なる消しゴムコレクション本まで上梓されている)。その彼女のコレクションは実に20,000点以上もあるという。で、まぁ、このうち3割が形状ダブリだったとしても14,000点もの様々な形の消しゴムが存在するわけで、これは「森羅万象これ消しゴム」と言ってもあながち嘘にはならない数字である。森羅一万四千象であるからして。

 更に、形状だけに飽きたらず、匂いも機能に関係ないからって平気でつける。イチゴだのレモンだのという爽やかフルーツ系や、コーラやチョコレートなど甘モノ系は言うに及ばず、カレー(甘口・辛口の別アリ)やら松茸やらすき焼きやら、もう甘いも辛いもコキ混ぜて、当たるを幸い匂わせる、といった雰囲気である。果ては“鉛筆の匂いつき消しゴム”などという、「自分の娘が不倶戴天の敵の息子と密通」みたいなものまで出る始末である。これなど、ご丁寧に形まで鉛筆そっくりである。嗚呼。黒鉛を吸着しさえすれば誰からも文句が出ないもんだからって、「目的のためならば手段は選ばない」にも程がある。

 なにより「むっ、消しゴムってなんでもアリか!」と思わせるのは、決められたカタチすら持たない練り消しゴムの存在である。あれは“紙面を摩擦で痛めずに黒鉛を吸着する”という、ちゃんと立派な存在意義を持った文具である。しかし。しかし、である。いくら存在意義があるからと言って、あんな粘土状のグニャグニャ文具が他に存在するだろうか。許されるのか。アリなのか。
 例えば練り鉛筆はどこから書いていいのか分からないし、練りハサミで紙を切るなんて拷問以外の何物でもない。これが練り定規ともなると、もう何を信じていいのかすら判らなくなる。“何にでもつく”はずのボールペンですら、練りは無理だ。練りコンパス・練りカッターも駄目。まったく、こんな練りなどという曖昧で甘ったれた状態が許されるなんて、消しゴムだけだ。

 ええい「うふふ、アタシは誰とでも練るわよ」とかそんなフシダラな事を言うんじゃありませんっ。お父さんはお前をそんな身持ちの崩れた消しゴムに育てた覚えはないっ。いや、消しゴムだけに、身持ちを崩して消しカスを出すのが仕事です。でんでん♪