ハサミは難しい。まず、ものが切れる原理からして難しい。 「難しいなどということがあるか馬鹿め。刃になっているから切れるのだ」という方は、お手元のハサミを手にとって、あなたの言われる刃先を指で軽くなぞってみるとよい。心配ない。おそらく指の皮膚は切れることはないだろう。ちょっとスジが付く程度だ。ハサミは確かに刃物だが、そのまま紙でも何でも切れるほどには鋭くはないのだ。刃先が丸くなったプラスチックの安全ハサミなんてものまで存在するのぐらいだ。ちなみに同じ事を包丁や日本刀でやると間違いなく皮膚は切れる。血を見るので、止めた方が利口だ。 では、ハサミは何で切れるのか。 基本的には、2つの刃がある角度ですりあわせられながら交差する点に材料が挟み込まれ、剪断応力が発生し、材料がその部分で破壊されることによって切断されるのである。…どうだ難しいだろう。って威張ってどうなるものでもないのだが、言葉だけ聞くとやはり難しい。 少し簡単に言うと、ハサミの刃と刃が交差する点(テコの原理で言えば作用点)にハサミを閉じる力がピンポイントで集中し、その力で紙なりなんなり対象を押し潰して、切れる。とまぁ、そんな加減である。 そういう意味では刃そのものの切れ味などにはあまり関係なく、要は2つの刃先がいかに密着しながらすりあわさるかという、ハサミ自体の構造精度がポイントになってくる。例え刃先が丸く柔らかいプラであっても、構造的に対象を挟む部分で刃と刃が上手に点接触さえしていれば切れるのだ。ちなみに、なんぼプラでも切れるからと言って、切る対象よりも刃の方が柔らかければ、挟み込んだ刃の方が潰れてしまう。絶対安全ハサミと称して豆腐やマグロの赤身などで作ったハサミは売らぬよう、メーカーさんにはくれぐれも注意していただきたい。食べ物を粗末にするな、と習ったはずだ。 しかして、切れる原理が分かったところで、イロブン的にはハサミの難しさは些かも緩和されるものではない。いや、逆により難しくなったと言ってもよい。 上記の通り、ハサミは構造が肝心である。言い換えれば、これ以外の構造ではハサミとしてなかなか成立しないのである。ボールペンのように“レフィルさえあれば書ける”わけではないので、まず『形態異常種』になりにくい。形状が機能の前提にあるので、その他の文具や玩具とも合成しにくい。勿論“にくい”というだけで、前科がないわけではないのだが、それでもその他の文具よりは遙かに“にくい”。せいぜいが、切り口をギザギザにしたり波形にするぐらいだ。融通の利かない堅物なのである。同じ刃物でも、刃単体で切ることが出来るカッターナイフの方がまだずっと可愛い気がある。例えばボールペンの軸にカッター刃を埋め込めば、カッターペンの完成である。当然、字を書こうと握った瞬間に手が切れるが、それもまた愛嬌であろう。ハサミにはボールペンと合体してお茶目をする愛嬌すらないのだ。完成されすぎた機能性は時としてこういう悲しみを生む。 文具に関してアマチュアにすぎない私がここまで見抜いているわけだから、当然プロである文具メーカーさんはハサミの難しさを知り抜いている。ハサミ系イロブンの絶対数の少なさはまさにその証明であろう。 だからといって、ハサミに未来が残されていないわけではない。その機能をうまく応用した【ローリングシザース】のような例もあることだし、もしかしたら普通のハサミだって、ペンや消しゴムと愛を交わしあうことを夢想し、眠れぬ晩を悶々と過ごしているのかもしれない。堅物だからこその苦悩だってあるだろう。ハサミの難しさに引いているメーカーさんには、ひとつそこのところを酌んでやって欲しいのだ。優しくこの文具界の堅物を柔らかくほぐしてやっていただきたい。 あ、バカバカ、いくら堅物を柔らかくしてやるといっても、マグロ赤身では作るなと言うに。それは間違いだ。 |
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