3.ボールペンは誘惑だ




 ボールペンとは何か? と訪ねられたら、私は迷わず『誘惑である』と答える。

 誘惑と言っても、「ああ、このLAMYペルソナのプラチナ軸の輝きがほふほふほふ…」とか、「むはぁ、ゲルインクのネバネバがネバネバとああああああ」とかいう少しヤバめのアレではない。いや、勿論私もイロブンコレクターである以前に一文具好きであるからして、多少はこのような嗜好も無くはない。無くはないのだが、今回の論旨である『誘惑』とは全く別の次元の話なのである。
 何にでも“つく”。それが、私の言うボールペンの誘惑なのである。

 諸君はボールペンを分解したことがおありだろうか。複雑な電化製品じゃあるまいし、まさかボールペンは分解したら爆発すると考えているような人間はいないだろう。おそらく100人いればそのうち90人は、退屈な授業中や、ふと仕事が途絶えた瞬間に、ほぼ無意識のうちに手遊びに分解したことがあるはずだ。とりあえずキャップと軸を外し、中からペン先のついたレフィル(インクが詰まったチューブ・ペン芯)を引きずり出せば、とりあえず分解は終了だ。簡単なものである。
 そこから、先の90人のうち50人までが、レフィルだけで字を書いてみたはずだ。あれはペナペナと柔らかいので若干苦労するが、まず間違いなく字は書ける。田中さんや山本さんなら、自分の名前を書く労力は通常形態と大した差はないだろう。醤鵺さんや鬱薔薇さんなどは相当に苦労されたと思うが、そんな名前の人はまず存在しないのでよかろう。なにより普通のボールペンでだって苦労する。ともあれ、レフィルだけで字は書ける。これは重要だ。
 さらに上の50人のうち20人までが、「おっ、これだけで字がかけるならペン軸とかいらないじゃん」と考える。そして彼らは「ペン軸を取ればスリムになるし携帯に便利かも」とか「手帳のページの隙間に栞代わりに挟んでおける」とか色々とアイデアを出し始める。もちろんそんなことしたって便利でも何でもなく、しかもペンとしては書きにくいので、実際に試してみた後すぐに、元通りレフィルはペン軸に戻される。
 しかし、この20人のうち1人だけ、少し危ない人がいる。彼はレフィルをペン軸に戻さない人なのである。あまつさえ「レフィルだけで書きにくいなら、別の物とくっつければ良いのだ。例えばこの耳掻きであるとか」などと言いだし、実際に耳掻きにレフィルをくくりつけてみてしまうのである。ここまでくるともう駄目だ。彼は自分の成した大発明に酔いしれ、「耳掻きとボールペン。二つが一つになれば超便利♪」と周囲に自慢して歩き、結果、アイツは駄目な人だ、と冷たい評価を受ける。私だ。
 そうなのだ。ボールペンはレフィルだけでも機能を果たすし、このレフィルはスリムで軟質なるが故に、なんにでも“つく”のである。耳掻きにだって“つく”し、電卓にも楽器にもライターにも盗聴器にも“つい”てしまう。この柔軟な“なんでもつく性”は、100人に1人の割合で存在する少し頭のネジの緩い人にとって、おそろしく魅惑的なのである。頭のネジが緩い人は、ネジが緩い故にいわゆる社会的生活を営むのが難しく、その難しさを解消するために足りぬ頭をひねって工夫することを覚え、結果、工夫することが習い性になってしまっているからだ。勿論その工夫はほぼ間違いなく的はずれであり、それがさらなる苦難を呼ぶのだが。私の体験談だ。
 工夫好きのネジ緩人種が、工夫なんでもござれのレフィルと出会う。青森辺りから上京してきたばかりの童貞くんが、海千山千な下宿屋の未亡人と出会うようなもんである。結果、ネジ緩人種はもうサルのようにレフィルにのめり込む。様々な体位を試すが如く、もう手に付くもの目の前に有るものなんでもつけてみる。工夫し出すと分かる事なのだが、レフィルはあんなに長くなくて良い。インクの総量は少なくなるが、適当な箇所でブッた切れば、より“つき”易くなる。極論を言えばペン先から1mmでもレフィルが延びていれば書けるのだから、こうなってくるともう、地球上の森羅万象はなべてボールペン化が可能なのである。
 自分の肉体とてその対象から逃れることは出来ない。爪を伸ばし、その先端にレフィルを接着した人間を知っている。当然のことだが私だ。ボールペンというのは大体に於いて合体した時に優性として存在する特性があるため、この場合の私は『ボールペンつき人間』ではなく『人間つきボールペン』だった。ボールペンの誘惑に負けた挙げ句、存在順位でも負けてしまう辺り、相当に駄目だ。
 言っておくが、この駄目加減は私個人に限った話ではない。先に述べたように、こんな馬鹿が100人に1人もの割合で存在するのである。その100人のうちの1人がそれぞれ今どこで何をしているかは判らない。判らないが、おそらくそのほとんどが文具メーカーで開発に従事しているのではなかろうか。でなければ、私の色物文具倉庫にこれほど大量の駄目なボールペンが納められている理由がつかない。

 ボールペンは誘惑だ。そして100人に1人の同胞諸君、この誘惑にどんどん負けて、日々駄目なボールペンを開発し続けて欲しい。「工夫は他人にさせて、自分はそれを楽しんだ方がいいよね。ラクだし。これもまぁひとつの工夫ってことで」などと言う怠惰な駄目人間もいるが、これは疑いようもなく私だ。